百人一首

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  百人一首の解説
 
 
■ 小倉百人一首の撰定と名称
 
 百人一首とは、百人の歌人の歌をそれぞれ一首ずつ撰んで集めた歌集です。
  その代表格である小倉百人一首は、藤原定家(1162〜1241)が、飛鳥時代の天智天皇から鎌倉時代の藤原家隆・雅経にいたるまでの代表的な歌人、百人の歌を撰んだものです。
  定家の日記『明月記』によると、百人一首を撰定するきっかけは、定家の息子為家の妻の父である宇都宮頼綱の依頼によるものであるということです。
  百人の歌を歌集とすることは平安時代から盛んに行われていましたが、“百人一首”という名称は、室町時代頃から用いられるようになったと考えられています。“小倉百人一首”もまた、定家が、百首を小倉山の山荘で撰んだことから、後世の人が名付けたものであって、定家が付けたものではありません。
 
■ 小倉百人一首の歌
 
 小倉百人一首の歌は、天智天皇の歌など数首を除けば、『古今集』から『新古今集』にいたるまでの勅撰和歌集の中から厳撰されたものが、ほぼ詠まれた時代順に撰集されています。
  歌の内容を分類した部立では、恋が43首と圧倒的に多く、以下、どれにも属さない雑が19首、春夏秋冬それぞれの季節をテーマにした歌が数首ずつあります。それ以外には、羇旅(きりょ)といわれる旅情を詠んだ歌や離別を詠んだ歌もあります。
 
■ 小倉百人一首の歌人
 
 小倉百人一首の歌人の大半は、天皇、貴族、僧侶です。なかには、猿丸大夫や蝉丸のような経歴のよくわからない伝説的歌人もいますが、平安以降の歌人の大半については、生没年・家族関係・経歴などから人物像を詳しく知ることができます。
 なお、定家が撰定した時には、承久の乱で鎌倉幕府に敗れた後鳥羽院・順徳院の歌は撰ばれていませんでした。源平を比較しても、源氏の9人に対して平氏は1人で、撰ばれた歌人の数が極端に少なく、撰定にはさまざまな政治的配慮が働いていたことをうかがわせます。
 
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